六時四五分起床。ヨガもどき。
布団を昨日から冬用に変えた。時々暑いと感じる。そう云うときは奇天烈な夢を見るが、矢張り見た。が、すぐに忘れる。
朝食に玄米と昨日のなめこの味噌汁、南瓜、漬物等を頂く。洗わなくていいなめこである。確かに普段口にするモノとはモノが違った。有難い。
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執筆。最終章に取り掛る。其処で筆が止まる。何か此処にもう一つの物語が必要と感じる。昼近くになって、そのアイデアが泛ぶ。
昼前ヨガもどき。
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本日も体質改善計画は続く。パンを止め、玄米に切換えて、体重が増えてきたのが判る。体重計には乗っていないが、其れくらいは判る。以前なら、其れを気にしたが、太っても健康なら問題はない。痩せていて不健康ではダメなのだ。
肚がポッコリは避けるつもりだが、贅肉は必要である。其れを入院手術を体験して、実感した今年の前半だった。
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昨日の続き―
メディアが真実を伝えなくなって久しい。いや、今まで両論併記で客観的な報道が一度でもなされてきただろうか。ことに大手メディアは背後にスポンサーが着いている時点で、中立などあり得ないのではないか。
今はネットがあるだけマシになった。ネットの情報は玉石混淆ではあるが、大手メディアの一方的な発信だけに頼らず、自ら両論を見て判断する機会が出来ただけでも未だ有難いことなのだ。
医療の問題、食料食品の問題も然り。
残念ながら、長い間、一般の消費者、患者は多く騙されてきた(良心的な医師や企業があるのも事実)。
今日もスーパーまで散歩がてらに歩いて、口に入れてなるべく害のないものを買ってきた。
買えるものはごく一部でしかない。本来なら、一年中、同じような野菜が同じ色、同じ形でふんだんに並んでいることに違和感を覚えなくてはいけないのだ。不自然だと感じなくてはいけないのだ。
何故、こんなことが可能になっているかを、もう一度考えてみるべきだろう。
既に一部の人は覚醒めている。だから、無農薬野菜や自然食品店が存在しているのである。
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何故こんなことをツラツラ書いているかと云えば、此の一年で考え方が変った、と云うより、ようやく眼が醒めたためである。
今ある命は頂いたものだ―
と云う観念である。そして、今あるこの肉体はこの世でお借りしたものだ―
と云う気持ちである。
以前も書いたが、この身体はいずれこの世をさるときには、お返ししなければならない。
だから、せめて今、この世に生きている間は、自分の身体を労り、感謝の気持ちを抱くべなのだ。
今、体質改善計画なるものを行っているのも、その意識が根底にあるためだ。
だから、もう一度云っておきたい。
メディアを信用してはならない。残念ながら政府も役所も同様だ。すべて信じるな、と云っているのではない。自分の身体、命に関わることは、疑ってみるべきだ、と云っているのだ。
此れまでも書いてきた通り、地上波テレビに出てくるのはすべてエテ公だと思え。それを制作している連中もエテ公だ。それに金を出しているのもエテ公である。
勘違いしてはいけない。視聴者は動物園に行って檻の中にいる動物を眺めている客ではない。
そうではなく、檻の中にいるエテ公たちから、監視され、管理され、搾取され、騙され、支配されているのである(この項、明日以降に続く)。
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新作の最終章の目鼻がついてきた。此れこそが創作の歓び、と云うヤツだろう。
本日も執筆出来たことに感謝。
惟神霊幸倍坐世