由紀かほる「憂国記」

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もうミラーを原文で、と云ふ気持ちは湧かない―壱拾代だったら、弐拾代だったら、いや参拾代だったら、と思ふが、若さとは無駄遣いされるから若さなのだろふ―

 皇紀弐阡八百六拾参年四月弐拾九日

 五時半起床。ヨガ。

《ペイルブルーに染まって Ⅲ》引続き執筆―

 其の合間に《ゴッホ書簡集 Ⅱ》を讀む―

【僕に色彩に対する一種の勘のあること、其の勘が一層身について行くだろふと云ふこと、絵具で描くことが僕の骨の髄に入り込んでいること、此れだけは確かだ。君が誠意を込めて、しかも実質的に援助してくれることの値打ちを、僕は倍にも何倍にも感謝している―】

 弟以外、誰からも評価されない中での此の自負心―其れがなければ、創作なんて出来るものじゃない―

 其の合間に、ヘンリー・ミラーの他の訳がないかと検索していたら、アマゾン等彼方此方のレビューが眼に入る―有難ひことに、アマゾンでは外国でのレビューも簡単に翻訳して讀める―面白いのは、此処でも、そして此の弐拾壱世紀に於いても、評価は極端に二分されている点だろふ―既に発表されてから七、八拾年経過している今でもだ―

 絶賛するレビューがあるかと思えば、ミラーは時間と金の無駄遣いと云ふ者も少なくない―其の現状が昨年から新潮社版の全集を讀み、俟た再読した身からすれば、よく判る―

 元来、読者の感想は人夫ゝであって、どれが正解かは容易に判断は出来ない―逆に、多くの匿名で投稿された感想は、当の読者のレベルのバロメーターになる、とも云えるのだが―

 此方が讀んだのは総て翻訳ものであって、原文に当っていないことを鑑みれば、其れだけでも割引かなければならない―

 以前、ジョイスヘミングウェイ等を原文でいくつか讀んだが、拙い英語力でも翻訳との感興の違ひ位は判る―残念ながら、もうミラーを原文で、と云ふ気持ちは湧かない―其れだけの余裕がないのは、実にどうすることも出来ない現実である―

 壱拾代だったら、弐拾代だったら、いや参拾代だったら、と思ふが、若さとは無駄遣いされるから若さなのだろふ―

 ミラーに関して今云える事は、多くの欠点がありながら、其処に度ゝ、うんざりさせられながら、何度となく投げ出そうとしながら、尚、惹きつけて已まない、ある不思議な魅力がある、と云ふ事である―此れは抑、既存の文學の有り様、作品の成立ち、鑑賞の仕方等を総てひっくり返した処に成立したものである―と云ふ、巷間流布されている評価が、此処でも尚有効なのだろふ―

 《北回帰線》が出たのがミラー四拾参歳だった、しかもパリで―遅咲きだったのは、其の文体、作品の形態と無縁ではない―が、何れにせよ、今、此の弐拾壱世紀になっても、其の作品が紙や電子書籍で世界中で発売されていると云ふ事実である―扨、再ゝゝゝ讀は何時になるだろふ―

 本日も執筆出来たことに感謝

 惟神霊幸倍坐世

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