由紀かほる「憂国記」

日記もどき 最新作の情報等ゝ

少子化が日本だけではなく、世界の主に先進国で進んで止まらないのは、今の時代、ネットによってほとんどタブーらしきものが消滅して、総てがオープンに観られる、そう云ふ環境が影響しているのではないか、

 皇紀弐阡八百六拾参年参月壱拾九日

 五時半起床。ヨガ。

 酵素米朝食。

《南回帰線》昨夜、読了―巻末の解説を読んでみると、既に一度眼を通していることに気づく―《北回帰線》から本作、そして《ネクサス》《プレクサス》と続く《薔薇色の十字架》に関しては、昨年も書いたので省略―唯、昨年読んだ際、最後に《北回帰線》を再読したために、中身がかなり記憶の中で入り混じっている―《南回帰線》の密度が高いことは認めるのに吝かでない―が、解説にある通り、物語としての構成の甘さは、矢張り気にはなる―其れを補って余りある、と云いたいが、気にはなるのである―さらに、抽象的、観念的な表現がときに過剰になり過ぎて、今ひとつ感興を呼び起こさない―が、其れもミラー節と気にせずに讀み進める―そう云ふ作品なのだ―

 因みに奥付を見ると、一九七〇年とあるから、新潮社の全集よりも数年後の訳である―其のせいなのか、所謂四文字言葉が平気で遣われている―引っかからなかったのは、此の当時は既に、此れが文學と認識されていたからだろふか―今、どうなっているのか知らない―官能小説の業界ではどうなっているのかも知らない―

 由紀かほるの場合に伏字を使うのは、以前の習慣もあるが、其の方が却って感興を唆るのではないか、と勝手に思っているからである―当然だが、オープンにすりゃいいってもんじゃない―噺は飛躍するが、少子化が日本だけではなく、世界の主に先進国で進んで止まらないのは、今の時代、ネットによってほとんどタブーらしきものが消滅して、総てがオープンに観られる、そう云ふ環境が影響しているのではないか、と勝手に思っている―隠されたものがある―と云ふ意識は、人間の想像力を、そして下半身の本能を掻き立てる最大の原動力だろふと思ふからである―勿論、皆がしがみついているスマホも性欲の減退を招いているのは周知の事実―

 本日、巫さまの処へ御挨拶に伺ふ―午後からようやく晴間が覘くも、未だ寒さは容赦なしである―草履に白足袋で外出出来るのは、あと何日後のことだろふ―

 本日も執筆出来たことに感謝

 惟神霊幸倍坐世

配信開始《ペイルブルーの熱い雨》 サンケイスポーツ紙連載。《ペイルブルーの咆哮》アップデート版。