皇紀弐阡八百六拾参年参月弐拾日
六時起床。ヨガ。
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まず初めに訂正―ジョイスの訳者を河野一郎と記していたが、正しくは安藤一郎―将に汗顔の至―《南回帰線》等の訳が讀み易い理由も、此れで納得―
引続き河野一郎訳《ネクサス》を讀み出したが、冒頭辺りで気が変る―《南北・回帰線》に比べれば、流石に其の後の三作はやや冗長で、散漫な印象は拭えない―いや、再読すれば印象は変るかもしれない―が、気分転換も偶にはいいだろふと思って、久しぶりにフォークナーを開く―
一時、と云っても数十年前の噺だが、古書店にはフォークナー全集の端本が出廻っていた―あれは西八王子駅近くの古書店だったか、一、二冊買った覚えがある―他でも入手したものの、当然全巻を集めるのは至難の業だった―未だネット等、存在しない頃の噺である―其のほとんどは、既に売り跳ばしていた―いくつか、文学全集の中のフォークナーの巻が残っているだけである―《八月の光》《サンクチュアリ》等は文庫で読んだ―端本を処分したのは、どうも作品の出来が期待外れだったのと、訳文が今一つだったせいだと記憶している―フォークナーにのめり込まなかったのは、そんな事情があったからではないか―
昨日と今日、《あの夕陽》《エミリーにバラを》を再読―共に評価通りの出来栄えである―此れを讀まされてしまふと、どうしてもさらに、もっと、いや全部、と云ふ気になるのだが、もう数十年前と同じ轍は踏むまい―取り敢えず、既に自炊した長編がある―フォークナーの長編である―フルコースと云ふよりも、巨大なサーロインステーキにたっぷりのポテトサラダ、食べ放題のパンとスープを前にした気分である―数十年ぶりに手を伸ばしてみるか―
本日も執筆出来たことに感謝
惟神霊幸倍坐世