由紀かほる「憂国記」

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《わずらわしい労役をいっさい捨てて創造せよ!創造は遊びであり、遊びは神聖なのだから》ヘンリー・ミラー

 一日前のブログ原稿👇

 皇紀弐阡八百六拾参年八月弐日

 七時起床。ヨガ。

 酵素米朝食。

 昨日、早朝より参拝へ―前日、壱拾時頃就寝したが、参時には眼が醒める―何時ものことではあるが、違ふのは身体の覚醒め方だった―エネルギーが入ってくるのが実感される―

 五時半までベッドの中にいながら、其れまで見つからなかったアイデア、モチーフ、そして方法論に想い至る―ヒントはミラーだった―

 ヘンリ・ミラー《プレクサス》、続けて読むのに、余り気乗りがしなかったのは《サクセス》が今ひとつの読後感だったからだが、同時に前回も指摘した通り、後半から文体が一つの纏りを見せ、或は其れ以降の作品に影響しているかもしれない、と思って、頁をめくっていく―そして、其れは正しかった―と云っても、未だ第二巻の前半であるから、其の後はどうなることか判らない―さらに、此の感想は原文ではなく、飽くまでも翻訳を読んでのものであることをお断りしておく―

《サクセス》に於いては幾つか、おや?と云ふ訳にぶつかった―判りやすい例では、ずっと主人公は《ぼく》と云ふ一人称であったにも拘らず、後半の一部には《私》となっている―原文で、そうした表記になっていたのか、或は単純に訳者のミスか、編集部のミスか―因みに、初版のせいか、いくつか印刷ミスも散見された―

《プレクサス》は前作とはまた打って変って非道く俗な形容詞やら、表現が目立つ―此れも原文がそうなのかどうか―逆に云えば、《サクセス》の前半で用いたスタイルは、結局は不出来であったことの証明と云えなくもない―或は、後半から一つのスタイルを確立したとも考えられる―

 おっ、と眼を啓かせる文章が度ゝ、顕れてくる

《わずらわしい労役をいっさい捨てて創造せよ!創造は遊びであり、遊びは神聖なのだから》

 此れが読書の歓びと云ふものだろふ―

 何れにせよ、此の二つの作品が此方に新たなスタイルへのヒントを与えてくれたことに変りはない―

 本日予報では参拾弐℃なれど、体感は参拾四、五と云った感じである―午前中に買物を終えたが、エアコンのない市場などは、サウナ同然、其の中で、尚マスクで仕事をしている方ゝ―余程、熱中症がお望みらしい―もうどうあがいても手遅れだろふから、好きにしてくれ―恐らくは今年最後と思われる塩水の雲丹をゲット、参阡円也、此れから下がることはないと、市場の兄さんも云っていたが、時期的にもお盆までだろふ―

 本日も読書出来たことに感謝

 惟神霊幸倍坐世

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