由紀かほる「憂国記」

日記もどき 最新作の情報等ゝ

貴方が生を充足したいのなら、貴方は大きな欲望を持たなくてはならない。欲望は経験を齎し、経験は知識を齎すからである―欲望がなければ創造的な仕事はない―クリシュナムルティ

 皇紀弐阡八百六拾参年九月壱拾六日

 六時起床。ヨガ。

 数日前から急激に気温が下ってくる、特に朝晩はもう半袖と云ふ訳にはいかない、北の國の特徴だが、いきなり秋である―そして、其の秋も短い―三日前、小千谷市縮に紋紗の羽織で午後散歩に出掛けるが、涼しい風が體を通り抜けていく―歩いているうちに、體が温まってはきたものの、そろそろ衣替えと実感させられる―

 別名義の五拾枚ほどの作品を、昨日仕上げる―将に小説はペン先から生まれる―特に今回は僅かなモチーフだけで執筆を始めた―何が出てくるか判らないままに書き進め、一旦筆が止まるものの、新たなアイデアが泛ぶ―出来上がったものは、なんとも形容しにくい作品である―もう一度、推敲すれば、其れでもどうにかなるのではないか―

 其の間、吉行淳之介の短篇集を拾い読みする―《鞄の中身》此れは何やらの賞を取った代表作ではなかったか―短篇の名手の真骨頂とかなんとか云われていたと思ふが、実は其の腕が冴え渡るほど、好みからは外れていく―技巧的なものほど、詰らないと感じる―そう云えば、《技巧的生活》と云ふ作品もあったな―途中で《星と月は天の穴》に乗り換える―過去、何度か読んでいるはずだが、詳細は覚えていない―内容的には昭和の作品である―今なら、ふぇみ系に叩かれそうな内容だが、其れは逆に昭和が健全だったことの証になるのかもしれない―後半に差し掛かった処で、自分の新作に忙殺されて、其の儘である―

 と云いながら、クリシュナムルティ《自由と反逆》に手を伸ばす―此方は初めてのクリシュナムルティである―勿論、ミラーの影響である―手始めに、何を読もうかと思っていたら、どう云ふ成行か、古書店電子書籍が売られていて、しかも何故かクーポン券付きで壱百参拾円で購入可能とある―妖しいと思いながら、試しにダウンロードしてみる―其の際、特に設定しなかったために、データはパソコンに送られてきた―其の処理の仕方は色ゝあるのかもしれないが、簡単にはコピー出来ないようになっている―已むなく、パソコン画面で読むハメに―其れでも、執筆中にクリック一つでモニターに映し出せるのは、其れは其れで便利ではある―

 読み出して、間もなく、オヤッと思ふ箇所が次ゝと顕れる―其れも、何度となく読み返したくなるような文面が続くのだ―未だ、感想を書けるほど読み込んでいないが、此れは新たな発見だった―

貴方が生を充足したいのなら、貴方は大きな欲望を持たなくてはならない。欲望は経験を齎し、経験は知識を齎すからである。もしも、人が欲望の用方を知るなら、其れは彼を憧れの自由へと導くだろふ。もしも、欲望が殺されたり抑圧されたりしたら、自由の可能性を奪われてしまふ―

★欲望がなければ創造的な仕事はない―

★欲望をさらに大きな欲望に火を点ける手段として、より大きな歓びと憧憬を覚醒めさせるための踏石として用いなさい―

 等ゝ。ならば他の作品も、と彼是と検索する―代表作としては《生と覚醒のコメンタリー》《自我の終焉》らしい―《自我の終焉》は《最初で最後の自由》と改題され、新訳が出ている―アマゾンの書評はかなりいい加減で、アテには出来ないのだが、中には鋭い、参考になる意見もある―譬えば、今年前半に読んだ《ファン・ゴッホの書簡》は、現在の版では一部が削除されてあり、読むなら旧版と云ふ意見に従って、其れを古書店で入手して読んだ―

 扨、《自我の終焉》のレビューであるが、新旧を読み比べて、さらに其の一部をアップしてくれている人がいて、参考にしてみた、此の人は何方がいいとは云わずに、読む人の好み次第と書いている―が、他の人のレビューも含めての結論からすると、旧版の方が評価が高い―実際に、一部を読み比べれば、新訳は所謂直訳に近い訳で、旧訳は意訳である―此方の好みからすれば、文句なしに旧訳に軍配を挙げよふ―

 かつて弐拾代の頃、《ニーチェ全集》が新訳として出て、せっせと毎月買い集めたことがあった―其れまでは理想社から出たものが、長く読まれていたのだ、かく云ふ此方も学生時代に図書館で読んだ記憶がある―新訳は未訳のものも含むと云ふことで、大いに期待したのだった―が、結果は無残だった―総てではないが、一部の訳者の翻訳は将に直訳と云ってよく、ほとんど日本語としての体をなしていなかった―あまりの非道さに、出版社に挿入されていたはがきで抗議文を書いて送ったものである―

《最初で最後の自由》は其れに近いのではないか―一部しか読んではいないが、其の硬直したぎこちない文章は、日本語とは云えない―硬直しているのは、編集者の頭も同様だろふ―だから、読むなら旧訳である―処が、古書店では既に壱萬円前後の高値が着いている―つまり、旧訳への需要が多いと云ふことであろふ―

 さらにネットで彼是と見ていたら、《自我の終焉》は英文が無料で読めると知った―実際にアクセスすると、あっさりとダウンロード出来た―試しに無料の翻訳ソフトで翻訳してみる―此れも手間は掛ったが、間もなく完了―其の訳文がどれほど精確かは未だ判らない―因みに、《最初で最後の自由》は電子書籍版も出ているのだが、遺憾ながら、何処かで方向を見誤ってしまった印象である―

 結論を云ふなら、旧訳を再販すべし、と云ふことになる― 

 本日も執筆出来たことに感謝

 惟神霊幸倍坐世

 最新作配信開始《朱い飛行船 レッド・ゼッペリン Ⅱ》