皇紀弐阡八百六拾参年壱月九日
七時起床。ヨガ。
《女神たちの黄昏・第四幕》(オリジナル美囚クロニクル【聖奴の十戒】》)リライトを続ける。
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着物の噺―初めての着物。執筆の際に毎日着用。料理、食事の際は着替えるので、日に何度となく帯を締め直す。練習にちょうど良い。現在、外は雪―此の中を着物で歩く準備は未だ出来ていない。雪融けまでは、専ら執筆用と云うことになるだろう。
夜、緑茶、重曹のお茶パックをビニール袋に入れて保管したせいか、カビ臭さがさらに減少する。
以前、書いた通り、色味が画像とはまるで違っていた。何処をどうしたら、此れだけ違う色味が撮影出来るのか、不思議なくらい違う。実際の色は気に入ったので良かったが、此れなら文句を云われることも多かろう。単純に撮影の技術の問題だと思うのだが、恐らく改善はされないだろう―そんな雰囲気が出品者の書く文言から伺える。
《現物優先》なんて言訳は如何なものか―
もう一つ。身丈が表示とは違う。一糎五ミリほど短いだけなのだが、オトコ物の場合は大事である。許容範囲ではあるものの、どうして測り間違えるのか―
そんなこんなだが、ネクストに気持ちが傾いている。違う業者で、此方はマグネットの羽織紐を買った処である。価格もいいが、品物もソソるものが並んでいる。何より有難いのは、サイズがジャストのものばかりである。
此の店で仕立て直したものらしいが、正解だと思う。
日本人の平均身長は1945年、終戦の年から現在まで、約10糎強伸びている。手脚も同様であるから、我ゝの親の世代の物は流石に合わない。物は良くても、ほぼ合わない。其のためもあって、リサイクル物は値段が信じられないほど安い。勿論、現代では着物を着る文化が先細りであることも大きいのであるが。
着物デビューに当って、当初脳裡に泛んでいたのは、生田耕作の着物姿だった。フランス文学の翻訳者だけではなく、此方が未だ若い頃、ダンディズムを貫く生き様にも、大いに感興を唆られたものだ。其の意味では、澁澤龍彦と双璧と云ってよい。京都にあるサバと館まで脚を運んだこともあった。調べたら、現在も営業しているらしい。再訪があるかどうか―多分、電子書籍に土俵を替えた以上は、ないだろう―
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オマケ―100円ショップ。横を通り過ぎた70位のオバサン。此方の貌見て、自分のマスクを指差し、
「マスクしないと」
来たな。待ってたぞ。実にご無沙汰じゃありやせんか。
「いいんだよ、五月蝿えな」
と一言。
オバサン、近くの店員に告げ口したけど、特に、北部戦線異常なし―
ほっき貝とキノコのクリームパスタ。和牛のステーキで、カンペー―
本日も執筆出来たことに感謝。
惟神霊幸倍坐世
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