由紀かほる「憂国記」

日記もどき 最新作の情報等ゝ

未だ打って打って打ちまくるのか。打たせるのか―此れからも、マスク真理教信者は、ゾンビとなって日本中を徘徊し続けるのだろう。ゾンビは自らがゾンビであることに、其のときまで気づかないらしい

 皇紀弐阡八百六拾参年壱月壱拾八日

 七時壱拾五分起床。ヨガ。

 酵素米朝食。

 昨日は九時半過ぎに布団の中へ。朝、五時に目覚める。もう眠れないだろうと思いながら、ウツラウツラ―気づくと七時を廻っていた。良く寝た。

 雪が止んで青空が覘く―東京は低温注意報だと?雪がないだけマシだが―着物で歩けるかな。

 身内の知人(高齢者)から連絡が入る。隣街に棲む娘さんが、出社しない―と会社から連絡が入り、息子さんと見に行った。マンションの自室で、独りで亡くなられていたそうだ。未だ五〇代で、持病などなし。

 以前、書いたが、私の友人の母親も年末に急逝した。医者の診断などもうアテにならないのは、周知の事実。何が原因かも、周知の事実。其れでも未だ打って打って打ちまくるのか。打たせるのか―此れからも、マスク真理教信者は、ゾンビとなって日本中を徘徊し続けるのだろう。ゾンビは自らがゾンビであることに、其のときまで気づかないらしいから―

《神々の沈黙》ジュリアン・ジェインズ

 あとがきまで読み追える。訳者も苦労したのではないかと想像する。一つ気になったのは、自身もあとがきで書いている《二分心》と云う訳語。直訳すれば《二院制の心》らしい。此の《二分心》は巻頭から最期まで、数え切れないほど出てくるのだが、此方の感想では《二院制の心》の方が遥かに判り易かった。残念。

 本書は既に書かれてから半世紀近くが経っている。其の分は割り引いて評価すべきなのだろう。此処に書いてあるのは、単なる感想に過ぎないことは、一応付加えておく。

 一九九三年に著者が亡くならなければ、続編が出ていたらしい。後記にも其の旨が書かれてある。今、此方の分野がどうなっているのか知らない。此れからも特に知りたいとも思わない。が、当人は無念だったろう。

 扨、次はブンガク作品でも紐解こう―

 隙を見て買物へ。本日は冷凍庫に眠っていたカレーをいくつか合せて、カツを揚げることに。妙に甘いのは、りんごのせいか?赤ワインやら香辛料、ソース等を追加。ふと、二年前を思い出す。一月と二月の頭、入院手術の前日は決ってカツカレーだったな―と。

 未だ、終らない。

 走りながら、的を射る―

 本日も執筆出来たことに感謝。

 惟神霊幸倍坐世