由紀かほる「憂国記」

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ヒトは何れ死ぬ。だから、構わない―などと嘯くヤカラがいるけれど、いざ其の時になれば、自らの判断のアサハカさを後悔するだろう

 皇紀弐阡八百六拾弐年壱拾弐月弐拾四日

 六時四拾五分起床。ヨガ。

 酵素玄米。鮭かま。韮生姜味噌汁。昆布佃煮。目玉焼き。

 夜から風がビュービュー。換気扇の辺りがパタパタ鳴っている。朝カーテンを開けたら、意外にも雪ではなかった。除雪車が彼方此方で音を響かせていたようだが、よく覚えていない。

 パソコンがやや重い。偶にフリーズ。そのための対処法で、埃をシュッシュするダストブロワーっつうのを買ってみた。買ったのは一月ほど前で、鳴らなくなったAVアンプに吹きかけたら、復活。

 パソコンに使おうと思って、其のままだったのは、執筆を優先したためである。

 昨日、第壱稿を仕上げたので、午前中にデスクトップのカバーを開けて、シュッシュと。

 思ったほど非道い埃ではなかったが、クーラーの羽根やカバーは矢張り―

 カバーを閉めて、こうして確認してみる―諒かに軽い。

 かつて、VHSのビデオデッキやらアンプやギターのエフェクターの類が故障して、もう捨てようとした場合の、最後の荒業として、水で洗う―と云うのが流行った。確かに、其れで復活する場合もかなりある。原因は埃である。唯、この荒業の場合は、一時的に復活しても、何れ近い将来、再びクラッシュする場合がほとんどである。そして、再復活はない。

 当時はこんなダストブロワー等、なかったように思うのだが。パソコンの普及と共に、こうした商品が誕生したと云う訳か。決して安くはないが、こうして復活する事実を前にすると、文句も云えない。

 イブ―だから?だから、何故か皆鶏肉なんぞを食べたがる。別に構わない。普段、売ってない鶏肉も売っていたりするから、其の点有難い。

 例の異怨の鶏はダメだと判った。普段、簡単に手に入って、ちゃんとまっとうな味のするのは桜姫。昨日行ったスーパーでは丸鶏なんぞも、参つ並んでいたりした。さすがに、この雪空の下でダッチオーブンは厳しい。今年の年初は其れでもやった記憶もあるが。アレはアレで愉しかった。さみーガレージで灼いて、暖かいダイニングキッチンで食べる。

 年明けにはチャレンジすっかもしれねえ。

 丸鶏の脇には、骨付きの腿肉も並んでいた。何時頃からか、レッグをスーパー等で見掛けなくなった、何か理由があるのかしらん。

 しかも、見掛けたのは腿の内側を捌いてあり、此れなら料理は確かにしやすい。一昨日は塩胡椒で素揚げにした。此れもイケる。以前、棲んでいた街の名物で、@@@の若鶏と云うのが有名だった。皆、子供の頃から馴染んだ味だそうだ。観光客なんぞも並んでいたりする。

 もう何年も前に食べてから、口にはしていない。そう云う味付けだからである。戦後日本人の不健康にもっとも貢献したのが鯵の本であるのは、有名だ。其れをたっぷりと使ったものは、もう結構。だから、食べない。タダでも食べない。

 さらに百舌ばーがーっつうのも、此の次期、我が家へやって来る。知人が店のオーナーなので、恒例行事らしい。此れも要らないのだ。さらに義理で買うケーキ。此れももう口には出来ない。

 或る日、胎内に出来物が出来、病院で検査をしたら、手術が必要と云われ、入院の手続きをし、ブドウ糖と云う病の好物である代物を点滴され、化学調味料満載、農薬満載の食事を日に三度出され、術後には投薬治療だ―とWHOですら推奨しない抗病剤を投与され、免疫力を奪われ、間もなく再発して、再び手術、入院、闘病、投薬―と云う無限ループに陥りたくなければ、喰わない方が宜しい。

 ヒトは何れ死ぬ。だから、構わない―などと嘯くヤカラがいるけれど、いざ其の時になれば、自らの判断のアサハカさを後悔するだろう―

 尤も、近頃は政府もちゃんと対策を考えてくれていて、そんなに時間を掛けずに処理すべく、効果絶大のヴァクシンをタダで打ってくれるから、後悔する暇もなく逝ける―安心ではあるな。 

《ネメシス・少年狩り》再チェックに取掛かる。 

 本日も執筆出来たことに感謝。

 惟神霊幸倍坐世

 最新作《女神たちの黄昏(たそがれ)》第三幕。由紀かほるベスト・セレクション第21弾。