皇紀弐阡八百六拾参年弐月日
七時起床。ヨガ。
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《ダブリン市民》《アラビー》高松雄一訳。読み易い翻訳である―が、此の作品で気づいたこと―主人公の少年が一人、アラビーと云ふバザーに出掛ける。其処の売店で、若い女一人と男二人が話している。
―そんなこと云ってませんよ。
―いや、云いましたよ。
―云ってませんよ。
―いや、確かに云いましたよ。
大凡の訳文だが―此れは可笑しい。どんな階級の若い男女か不明だが、夜の閉店間際のバザーにいる男女である。普通なら、
―そんなこと云ってないわ。
―いや、云ったよ。
―云ってないわよ。
―いや、確かに云った。
こんな感じが相応しいと思ふ。
で、気になって、他の三人の訳者のものも確かめてみた。
矢張り、同じような云い廻しである。
さらにもう一人、柳瀬氏の訳を今、確認してみた。此方はもっと砕けた訳になっていて、ズバリである―確認した訳ではないが、恐らく柳瀬訳が一番新しいのではないか―此の訳は話題になったと云ふ記憶がある。かののーべる賞作家のセンセイがお墨付きを与えたことも一役買ったはずだ―今、確かめてみると、此方ではなく《フィネガンズ》の解説であった。
一部に驚くようなふりがなが施されている―己は此れを不快に思った。悪巫山戯の部類だろうと。少なくとも、翻訳の領域をはみ出し過ぎているだろうと―今も其の気持ちに変りはない―將に、現代音楽が、フリージャズが、現代詩が陥った袋小路と同様の、其処にブンガクの貧困しか認められない―唄を歌いたかったら、音で表現したいなら、音楽をやればよい。視覚に訴えたいなら、美術で表現すればよい―
最新鋭のモノほど、先に腐っていく―今更だが、そう云っておきたい―
其れでも、此の会話の部分の訳は、柳瀬訳を買ふ。
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一昨日、知人が発熱。イベルメクチンを上げて、早速飲んだそうだ。今日になって、回復したと云ふ―
「己がコロナだって、絶対に口外しないでな」
と。いやいや、其れコロナかインフルか、誰にも判りやせんや。そう、医者だって、絶対に―PCR検査のインチキに未だ騙されてるから―
いや、此れ以上は何も云わないよ―お大事に。
唯、ツーショットだから、此れからも油断は出来ないから―時間差でやって来るから―
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本日はお伊勢参りのメンバーでパエリアを。昨日の刺身が残ったので、まあ、そう云ふことになった。
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別名義の新作の構想がようやく形になり始めてきた。実は執筆しているよりも、構想を練っているときの方が辛い―そう云ふときは、ベッドでゴロゴロしてるしかない―と吉行淳之介が云っていた言葉を、過去何度思い出しただろう。
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買出しに出掛ける。戻ってすぐに料理にかかるので洋服である。酒屋にも寄ってワインを―次第に雪模様。午後3時以降吹雪くと云ふ予報だそうだ―
帰宅して、スープストックを造る。滅多に使わないフードカッターで手間を省く。鶏肉を焼く。玉葱、人参、大蒜、セロリを炒める。鶏ガラスープで煮込む。
外は猛吹雪になってきた―もう一日が終ろうとしている―其れでも新作の足掛りは掴んだから、無駄ではなかった―と思ふことにしよう―
本日も執筆出来たことに感謝。
惟神霊幸倍坐世
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