皇紀弐阡八百六拾参年六月九日
六時参拾起床。ヨガ。
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《三島由紀夫全集》再読記―第七巻、此処には弐拾代半ばに書かれたエンターテイメント作品が集められている―《夏子の冒険》《にっぽん製》《女神》は長編である―今回、再読と思ったが、読んだ記憶が甦らなかった―他の作品もそうだが、案外初出の後、何処にも収録されなかった作品は少なくない―
全集(旧版)の全巻を古書で入手したのは、壱拾年ほど前だろふか―其れまでは、専ら古書店で文庫本やら単行本等で読んでいた―其のために、未読作品が結構な数あることに気づいた次第である―
扨、先ほど挙げた三作品、何れも圧倒的な美人がヒロインで登場する―其の美しさを、作品の中では何度も何度もくり返し、第三者の視線まで使って強調する―が、強調すればするほど、其の美女の実態は曖昧になっていく―
結論から云ってしまえば、何れも三島作品の平均点からはかなり低い―エンターテイメントだから、と云ふのは言訳にはならない―物語其の物が詰らないのではなく、登場人物にまるでリアリティがない―もうくり返し指摘されたことではあるが、登場人物は皆、観念によって捻り出された、実態の希薄な虚構に過ぎない―
《女神》のヒロインも、両親も、二人の恋人役も、そんなヤツあいねえよ、と云ふ編集者の一言でボツになっても可笑しくないほど人工的である―
当時、昭和20年代の状況を肌感覚では知らない―が、ヒロイン一家は夏が近づけば、軽井沢に避暑へ出掛け、其処で乗馬を愉しむ、そう云ふ階級の人ゝである―実に鼻持ちならない、と当時なら、いや今でも、多くの者は思ふのではあるまいか―此の貴族趣味、実際に三島自身の生活環境がそうだったのだから、已むを得ないが、此の時点で何の感情移入も湧かない―或は、そうした環境、そうした上流社会に、当時の読者は憧れたのであろうか―
三島としてはエンターテイメントと云ふことで、随分とサーヴィスしたのかもしれない―其のサーヴィスも、高みから見下ろしたようなポーズが見え透いてしまふだけに、余計にお寒い―
こんな作品、誰も歓びはしない―と思ったら、《夏子の冒険》《にっぽん製》は映画化されたらしい―驚いた―以前も、もっと若い時期の文学作品が映画化されてタマゲたが、こんな作品を映画のネタ元にする、其の映画会社のセンスを心底疑ふ―
其れほど当時の三島は、新進気鋭の人気作家だったのだろふ―月報には《にっぽん製》に出たらしい山本富士子とのツーショット写真が載っている―
再読はない―が、今回読んだ時間と労力が無駄だったかと云えば、違ふ―こうした出来の悪い作品の方が、瑕疵のない完璧な作品よりも、案外、作家の本質が覘けることもあるのだ―其の破れ眼からは、作家が隠しておきたい、創作における源が意図せずに貌を出していることもあるのである―
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《美人捜査官・凌辱調書》は暫く脇に置いておくことにして、何かないか、とフォルダーを探って《女医・美畜病棟》を何気にクリック―いくつか違う原稿が見つかったが、二月程前に一度斜め読みして、原稿を簡単に修正してあった―中身も思い出してくる―特に目新しい訳ではないが、女医と云ふ肩書を考慮しなければ、既に配信準備に掛っている《婚礼シリーズ》に入れても可笑しくはない内容―
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本日、初めての大島紬のアンサンブルが届く―画像ではかなり青みが勁かったが、実物は所謂、濃紺系で定番中の定番である―此れまで手に入れた米沢紬とほぼ同じ―但し、着心地は違ふ―何方がいいと云ふのではなく、何方も良い―
因みに入手価格は米沢紬の5分の1程度―でありながら、状態は一番良い―少しタンスの臭いが残っているけれど―何より、ジャストサイズであるのが嬉しい―
大島紬の途方もない労力と時間を掛けたきめ細かい作業に就いては、彼是ネット情報を読んで感心すること頻りであった―某リサイクル・ショップの店長さん曰く、こんな作業は日本人でなくては出来ないだろふ、と―まさに世界最高の民族衣装の名に恥ない品物である―恐らく、此れを反物からオーダーしたら、価格は10倍、いや100倍であったろう―ウソではなく、本当なのだ―
今、ネットの発達でリサイクルが盛んではあるけれど、果たして何時まで続くだろふ―今、二束三文で売り買いされている着物も、何時か品切れになる時が来よう―晴れの日に着る着物の需要は未だ続くだろふが、普段着の着物を新調して着る人口は、益ゝ減っていくに違いない―着る人がいなければ、職人の仕事もなくなっていく―
其れは着物文化の終焉かもしれない―
本日も執筆出来たことに感謝
惟神霊幸倍坐世
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