由紀かほる「憂国記」

日記もどき 最新作の情報等ゝ

一年ぶりの鷗外なのだが、作品の書かれた時代、また舞台になっているのは、当然ながらほぼ明治から大正の頭であるから、登場人物も多くは和装なのである―だから和装で読むべし、鷗外、漱石―、

 皇紀弐阡八百六拾参年弐月壱拾六日

 五時起床。ヨガ。

 酵素米朝食。

 ミラー全集に引続き、ホイットマンの詩集を引張り出して、久しぶりに鑑賞する―角川から出ていた箱入りのヤツで、確かソノシートが着いていたと思ふが、自炊した際に何処かへやってしまった―あれには何が入っていたのか―ちょっと気になる―

 時代は一〇〇年前である―日本からの使節団がワシントンだかを凱旋する、かの有名な作品も勿論、含まれている―未だ、米国が、国民が夢を見ていられる時代だった―其の裏で蠢くヤカラの実態が、露呈している今となっては、読後感は複雑である―尤も、未だに目覚めない者も多いのだが―いや、八割以上がそうだろふ―其れは我が國も同様で、遺伝子組み換え毒物を打ちまくった割合が、八割と云ふ咲えない現実と今、直面しているのだ―

 続いて、《永遠の夫》を再読―再読と思ったが、読み出しても、記憶が甦らなかった―未読であるはずはないのだが―ドストエフスキーは色ゝな翻訳が出ているが、何を於いても米川正夫訳を外す訳にはいかない―当然、全集を買って自炊した―自炊する前に、少なくとも小説は総て読んでいるはずである―

 読み終えて、二日ほど経ってから、あのラストシーンがぼんやりと甦ってきた―因みに、全集では《悪霊》の二巻の内の二巻眼の後ろに併載する形になっている―或いは、《悪霊》、其の後の《カラマーゾフの兄弟》のインパクトの大きさに、《永遠の夫》の印象が薄らいだのかもしれない―

 ホイットマンドストエフスキーに手を伸ばしたのは、勿論、ミラーの作品を読んだ影響である―

 昨日から何故か鷗外を開く―《灰燼》此れも間違ひなく再読なのに、記憶が甦らない―良い出来だと思ふが、未完である―あれ?そうだったっけ、と思ひつつ、今日、検索してみると、鷗外唯一の未完の作、とある―ちょっと惜しいが、結末は想像がつかない訳ではない―

 執筆を休む傍ら、確定申告に取り掛る―

提出書類が届かないので、電話すると、今から郵送では時間が掛るから、取りに来てくれと云われたが、帰省は来週である―しかも、翌日は祝日となり、参連休となるのだ―すると、日曜日は受け付けていると云ふ―仕方ないので、下書きを準備しておくことに―午前中で終了―

 と思っていたら、未だ計算し残していた税金分が出てきた―其れを加算して、もう一度計算―

 鷗外を続けて読みながら、ふと今のように和装で読むのは初めてだと気づく―つまり、一年ぶりの鷗外なのだが、作品の書かれた時代、また舞台になっているのは、当然ながらほぼ明治から大正の頭であるから、登場人物も多くは和装なのである―だから、どうと云ふこともないが、気持ちの中では此れまでに感じられなかった共通項を見つけた出した気分で、此れは此れでナカナカに宜しいのだった―

 和装で読むべし、鷗外、漱石

 本日も執筆出来たことに感謝

 惟神霊幸倍坐世 

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